去る9月10日 11:30〜 大臣室において、田村憲久厚生労働大臣に「介護離職ゼロをめざすための要望書」を提出いたしました。提出者は、上原喜光さん、袖井孝子さん、山極清子さん、樋口恵子の4人でした。(写真撮影のため事務局の新井さん同行)
大臣は、介護でいま最も重要なこととして、介護離職と認知症問題をあげられ、大臣の関心の高さを感じました。私たちの話も熱心に聞いてくださいましたし、「くるみん」の介護版については、公募して大いに普及・推進を図ればと身を乗り出して話に乗ってくださり、30分はあっという間に過ぎ、次の陳情団を少し待たせたのではないかとさえ思われるほどでした。
その後、9階の厚生記者会に移動し、急なことなので記者会見はせず、資料提出だけと思っていたのですが、12時10分から急遽記者会見を行うことになりました。お昼休み返上の記者がたくさん集まってくださり、後半は質問攻め。気が付いたら1時間が過ぎていました。
当日はNHKのテレビカメラが、要望書提出の頭撮りで入り、提出写真を撮ったのですが、なんと緊急記者会見場でも終始カメラが回っていましたので、そのうちどこかで放映されるかもしれません。
昨日(9月3日) スウェーデン大使館で、「ブンネ・メソッド音楽を活用したケア」 についての講演会があり、樋口理事長がゲストスピーカーとして招かれました。 昨年5月に平均年齢77歳の北欧視察ツアーで見たスウェーデン福祉の中でも 特に印象深かった 「親族みとり休業制度」(1989年創設) について発表。 パワーポイントを使っての説明は興味関心を呼び、持ち時間の30分では足りないと 参加者からは 「もっと聞きたい」 との声が多く上がりました。 ブンネ・メソッドという音楽療法は、30年前に ステン ブンネ氏が開発した独自の 楽器を用いた演奏を通して行う療法です。 幼児、障害を持つ人、認知症の人たちが簡単に演奏できることが、会場で行った ミニ演奏会で実証されました。 今後、あちこちの施設で取り入れられるかもしれません。
去る6月22日(土)日本社会事業大学名誉博士号が本会理事長に授与されました。樋口理事長は、格調高いマントと帽子を着用、授与式の舞台に立ち、大島巌日本社会事業大学学長より、博士号、記念品、花束を授与されました。
同大学の理事長は本会熊本大会で大変ご尽力くださった潮谷義子元熊本県知事です。潮谷さんは大分・別府大会での記念講演も受けていただき、深いご縁を感じています。
本会理事で社会事業大学同期卒業の井上、白井両氏からお祝いのメッセージが届きました。
*東京家政大学の教授を務めながら、社会事業大学の専修科に通われたという樋口理事長。時代的にいうと、私は1964年入学ですから私の方が先輩、なんとビッグな後輩を持ったことでしょう。それだけでも恐れ多く、誇らしい気持ちでした。それにしても、理事長のスピーチの素晴らしかったこと。「福祉にジェンダーの視点が欠如していること」、「専修科に通って若い同窓生から現場の声を聞けたこと」、こうしたことがその後の理事長の活動に結びついていったことを改めて知り、感銘を受けました。理事長のこうした学びが政策にまで結実していったことなどがユーモアを交えて語られ、会場は強烈なインパクトを受けながらも感動の渦に包まれていました。
*樋口先生の名誉博士号授与おめでとうございます。
私の母校日本社会事業大学が、樋口恵子先生に名誉博士号を授与させていただけたことは、卒業生一同にとって、大層名誉なことでとても誇りに思います。
久しぶりの先生の講演は、歯切れよく感銘を受けました。特に戦争で被害を受けた人々が、口を開くまでに長い年月を有した。これも長寿により可能になったいうお話は誠にその通りで、人生百年時代を迎え高齢者の役割がより重要になってきますね。
これからも、ますます元気に活躍されることを期待しています。
5月16日に第62回社会保障審議会が開かれ 《「これまでの社会保障制度国民会議における 議論の整理(医療・介護分野)(案)」と主な論点(案)》 の議題のもとに話し合いが行われました。 その席で樋口理事長が今回の「人生最期の医療に関する調査」結果について 報告する機会を与えられ発表いたしました。
詳しくは上の注目情報をご覧ください。
今年の大会は2013年7月12日(金)〜13日(土)、第32回全国大会in茨城として、水戸市の県民文化センター大ホールをメイン会場に開催されます。記念講演は元宇宙飛行士の山崎直子さん。研究学園都市つくばを控えて、IT研究も優れている茨城らしい内容のプログラムが着々整いつつあります。ぜひ、ご参加いただけますように。
さて、その次は、千葉大会。2014年9月に千葉市で開催予定です。例年ですと、ここで、「乞うご期待!」で終わるのですが、なんとその先がもう決まりました。
昨年から準備中とは聞いていたのですが、正式に実行委員会を発足させ、なんと2015年大会に備えようという気の早いメンバーが、足掛け4年の長丁場に挑んでいます。
気が早くて元気いっぱいなのは、グループ「長岡老いを考える会」を中心に広く県内に呼びかけて参集した方々。メンバーの気の早さが行政にも伝わって、会場の仮のそのまた仮の抑えも済みましたとの報告には、せっかちの「江戸っ子」も負けました。どうぞ皆様、再来年の手帳にお書込みください。
期日は、2015年9月26日〜27日 会場は長岡駅隣接の「アオーレ長岡」です。ご存知のとおり長岡市は高齢者福祉先進地域であり、中越大震災の被害にもめげず力強く復興を遂げている地域です。全国的に有名なのは鎮魂のための「打ち上げ花火」、決して祭りのための花火ではないと力を込めて言われました。
皆さま、どうぞ、お元気で、34回の全国大会・長岡でお会いいたしましょう!
2013年があけました。皆様にとりまして、お幸せな素晴らしい年になりますようお祈りいたします。
本会の今年の全国大会は茨城県です。不肖私は、いばらぎけんと言っておりましたが、正しくは濁りひとつの「いばらき」だそうです。言いにくいですが、これからは正しく発音しようと暮れに誓いました。すでに、会期・会場・テーマなど決まりましたので、ご案内いたします。急ぐ理由はただ一つ。今年は夏の開催なのです。
《会 期》 2013年7月12日(金)〜13日(土)
《会 場》 茨城県立県民文化センターほか(水戸市)
《テーマ》 「次世代につなげよう いきいき高齢社会」
記念講演の講師には、元宇宙飛行士の山崎直子さんに交渉中です。黄門さまと納豆だけではない茨城から、ロボット開発、テクノロジー最先端の情報、加えてパノラマシンポ「今どき日本の家族絵巻」など盛りだくさんで企画中です。ぜひご参加くださいませ。 新年早々、茨城実行委員会が上京、熱心に協議した様子をご覧ください。
10月29日から31日まで、韓国ソウルと木浦市で、上記のイベントが盛大に開催されました。日本からは500人が参加しました。
第1日目は、ソウルの女性プラザで、国連「World Orphans Day」制定推進の意義について国際学術会議。日本側を代表して、 樋口惠子理事長があいさつし、世界には1億5千万人の孤児がいること、田内千鶴子さんの意思を継いで、 世界の孤児たちを支え育てていきましょうとあいさつ。本会会員で前熊本県知事の潮谷義子さんが、世界の孤児たちの実情を説明。 同時通訳の会場は熱心な聴衆で溢れました。
田内千鶴子(尹鶴子)さんの生涯は、映画「愛の黙示録」でも紹介され、ご存知の方も多いと思いますが、 1921.10.31朝鮮総督府官吏の一人娘として高知市で生まれ、7歳の時韓国へ。木浦高等女学校を卒業後教師となり、 「共生園」という孤児院を運営していた尹致浩さんと結婚。夫が朝鮮戦争のさなか行方不明となるも、夫の意思を継ぎ、 1968.10.31、56歳で亡くなるまで韓国の孤児たち3000人を育てあげたという偉人です。
本会会員で在日韓国老人たちの施設「故郷の家」を大阪堺市につくった尹基さんはご長男。千鶴子さんの人間愛は、 わが子を孤児と一緒に寝起きさせて育てたことでもわかるとおり、子どもたちを育てることに人生のすべてを捧げた方です。
戦後、反日の嵐が吹き荒れたとき体を張って千鶴子さんを「私たちのお母さんです」と守り抜いた孤児たち。 葬儀は木浦市で初めての市民葬として執り行われ、3万人もの人が別れを惜しんで見送ったことなど、 田内千鶴子さんは「木浦の母」として今も慕われ続けています。
さて、2日目は日韓愛と平和の祭典。韓国の歌・踊り・太鼓など一流の芸能が披露され、 「第九」の合唱もお見事でした。日本からは高知のよさこい踊りが披露され日韓交流を図りました。
3日目は国連「World Orphans Day」(世界孤児の日)制定推進大会で、田内千鶴子さんの意思を継いで、 世界人類の協力で世界の孤児を支え育てていきましょう、と制定推進木浦宣言を採択し、これからも互いに協力していくことを約束しました。 会場の木浦市民文化体育センターには2日間で3000人の人が訪れました。
10月1日の「国際高齢者デー」に国連人口基金は国連大学のウ・タント国際会議場でシンポジウム「21世紀の高齢社会にどういどむのか」を開催しました。このシンポジウムでは地球規模の高齢化社会を迎える世界へ向けて、私たち人類の将来のためにいかに高齢化に取り組むのかについて議論を深めました。 開会挨拶は小宮山洋子前厚生労働大臣、基調講演はハバトゥンデ・オショティメン氏(国連人口基金所長)、ドゥ・パン教授(中国人民大学)、スン・ウク・リー教授(ソウル大学校)、リチャード・ブレウィット氏(ヘルプ・エイジ・インターナショナルOEC)、コメンテーターに樋口恵子理事長と林玲子氏(国立社会保障人口問題研究所部長)、モデレーターは佐崎淳子氏(国連人口基金東京事業所長)、閉会挨拶は山根隆二外務副大臣でした。
本会からもたくさんの会員が参加され「たいへんよいシンポジウムだった」という声が多く聞かれました。
9月18日(火)去る4月にご逝去された吉武輝子さんをしのぶ会がアルカディア市谷で開催されました。
「吉武さんと今も一緒に生きています」といわれる方たちがたくさん集いました。
呼びかけ人を代表して樋口理事長があいさつ。本会の活動に鮮やかな足跡を残された吉武さんを語り、「特に忘れられないのは第29回全国大会・大分大会でのこと、平和を語るシンポジウムの席上、会場から怒声でヤジを飛ばす男性に、酸素ボンベの管を装着していた吉武さんがたまりかねて、ドスのきいた声で『ヤジはやめろ!』。男はバツが悪そうに退場しました。吉武さんに救われた会場ではそのあと真剣に論議が続きました。誰よりも救われたのはコーディネーター役だったこの私です。いつもこうして助けてくれた勇気ある活動家でした。吉武さんの『病気になっても病人にはならない』を合言葉に生きていきましょう。」と結びました。
樋口惠子理事長と袖井孝子副理事長、監事の藤原房子さんたち3人は今年5月にフィンランドを訪問。そのフィンランドから社会福祉と保健ケアの専門家タイパレご夫妻が、広島の反核国際会議に出席するため、来日されました。理事の富井明子さん、幹事役の木村も加わって和やかにランチョンミーティングが開かれました。
イルッカ博士は医師で前国会議員、現ヘルシンキ市議会議員で、平和運動や人権運動に貢献、ヴァップ夫人も医師で、保健大臣、社会福祉大臣、スタケス総裁を務めた方です。介護保険のこと、高齢者の貧困、女性の政治参画、クオータ制度、外国人労働者、核拡散防止、原発など様々な問題について語り合いました。9月15日はフィンランドでも日本の敬老の日のように高齢者のお祝いをするそうです。